レイキヒーリングで体感を得たいと思うのはエゴなのか?
レイキ発祥の地、京都の奥座敷・鞍馬山でレイキヒーラー養成講座を開催している、ねうです。
レイキヒーリングを学び、ご自身で練習をされていらっしゃる方の中には、「レイキが流れているのか体感を得ることができない」というお悩みを抱えている方が一定数いらっしゃいます。
また、このことを先生に相談したところ「レイキのエネルギーを感じられるようになりたい、目に見えない世界を見たり、感じることができるようになりたいと思うのはエゴである。エゴを捨てて練習をしなさい」と言われてしまって困っている、というご相談をいただくこともあります。
レイキヒーリングでエネルギーがしっかりと流れているのかどうか体感を得たいと思うのは、エゴなのでしょうか?
見えない世界を感じられるようになりたいと望むのは、よくないことなのでしょうか?
とても難しいテーマですが、今日の記事では、このことについて解説していければと思います。
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【目次】
レイキの体感が得られることは必須なのか?
レイキティーチャーになりたいのなら、体感があることは必須
伝統靈氣ではヒビキを見つけるところから施術がスタートしていた
臼井先生時代にもレイキの体感を得られない人はいた
レイキの体感を得られなくてもレイキヒーリングの効果が出る方法
エネルギーを感じることに執着する気持ちがエゴである理由
どうして見えない世界を感じられるようになりたいのですか?
人間如きに理解できることは、ほとんどない
レイキの体感が得られることは必須なのか?
そもそもレイキヒーリングを練習していく中で、「エネルギーが流れている」と感じられるようになることは、レイキヒーラーとして必須の能力なのでしょうか?
個人的には、この質問の答えは「Yesであり、Noでもある」と思っています。
どっちやねん!と読者の方からのツッコミが聞こえてきそうなので、解説していきますね(笑)
レイキティーチャーになりたいのなら、体感があることは必須
あなたがもし、ご自身でたくさんの人にレイキを伝授し、レイキヒーリングを教えていく「ティーチャー(先生・師範)」になりたいのであれば、レイキの体感を得られるようになることは必須です。
なぜならば、そもそもレイキが流れているかどうかや、エネルギーがどこで詰まっているのか、ちゃんとエネルギーのブロックがとれたのか、などが分からなければ、レイキ伝授が成立しないからです。
レイキティーチャーの一番の役割は、レイキの伝授をおこなうことです。
レイキ伝授では、生徒さんの体内に(エネルギーレベルでの)レイキエネルギーが流れる回路を開きます。
このとき、レイキが流れる回路がしっかりと開いていなければ、当然ですが伝授は失敗となります。
そのため、レイキティーチャーは、レイキの回路がしっかりと開いているか、定着しているかを感じることのできる能力が必須となります。
さらに、先生という立場上、目に見えないエネルギーにはじめて接する方に対して、「レイキが流れている感覚とはどんなものなのか」を教えてあげる必要があります。これは、自分自身でレイキが流れる体感を得られていなければ、教えることができません。
さらに、まだレイキが流れている体感に自信を持てない生徒さんに対し、「その方がレイキヒーリングを実践しているときに、しっかりとレイキが流れているか」を確認してあげる必要もあります。
このように、レイキティーチャーとしての役割・立場をしっかりと責任もっておこなっていくためには、レイキが流れている体感を得られたり、目に見えないエネルギーを感じることができる能力がしっかりと養われている必要があります。
伝統靈氣ではヒビキを見つけるところから施術がスタートしていた
レイキヒーリングの創始者である臼井甕男氏が直接レイキヒーリングを教えていた大正時代において、目に見えないエネルギーを感じられる能力があることが、施術のスタート地点でした。
わたしのスクールでは、臼井甕男氏が大正時代に教えていらっしゃったレイキの技法などを「伝統靈氣」または「靈氣療法」と呼び、戦後に日本に逆輸入された「西洋レイキ」と区別しています。
▷伝統靈氣療法から西洋レイキへの歴史は、こちらの記事をお読みください。
臼井先生時代の靈氣療法は、 “治療法” としてレイキヒーリングが使われていました。
当時の施術方法は、まず施術者であるレイキヒーラーが、クライエントさまの身体に手をかざし、ヒビキを探すところからはじまっていました。
ヒビキとは、大宇宙である宇宙エネルギーと、小宇宙である人体のエネルギーが不調和を起こしているために出てくるエネルギーの振動のことです。ヒビキの体感としては、手をかざしたときに、手のひらがピリピリ・ビリビリしたり、冷たいように感じる、重たさを感じるなど、 “違和感” のようなものを感じることが多いです。
このヒビキがある場所が、宇宙エネルギーと人体のエネルギーが不調和を起こしている場所です。そして、臼井靈氣療法においては、このような「宇宙エネルギーとの不調和」こそが心身の不調(病気や怪我)の原因であると考えていました。
そのため、まずはクライエントさまの身体全体に手のひらをかざしてスキャニングし、ヒビキを見つける。ヒビキを見つけたら、そのヒビキが消えるまで(これを伝統靈氣では「ヒビキを抜く」と表現していました)無心でレイキを流しつづける、というのが施術の流れでした。
そのため、当時の臼井靈氣療法学会の施術者たちは、最低でも「ヒビキを見つけられる」能力と「ヒビキが抜けたことを確認できる」能力が必須であったと考えられるのです。
では、ヒビキを感じることができなければ、レイキヒーラーとしてレイキヒーリングをおこなうことはできないのでしょうか?
臼井先生時代にもレイキの体感を得られない人はいた
いくつかの資料によると、臼井先生がご存命であった大正時代においても、ヒビキを感じることのできない方は一定数いらっしゃったようです。
臼井先生は、ご自身の直弟子であった元・軍医の林忠次郎氏に「誰でもヒビキを感じられるような方法を探してほしい」「もしその方法が見つからないのであれば、ヒビキを感じることができなくても靈氣療法を実践できる方法を見つけてほしい」と依頼していたようです。
結局、臼井先生・林先生の時代に「誰でもすぐにヒビキを感じられるようになる方法」を見つけることはできなかったようです。しかし、ヒビキを感じられない人でもレイキヒーリングで自他ともに癒しをおこなっていけるような方法が考案されました。それが、多くのスクールのレベル1で教えられる「基本の12ポジション」です。
レイキの体感を得られなくてもレイキヒーリングの効果が出る方法
基本の12ポジションがどの時代に考案されたのか、実は明確にはわかっていません。おそらく林先生、もしくは彼の直弟子であり、世界にレイキが広がるきっかけとなった高田はわよ先生あたりではないかと考えられています。
この12ポジションは、頭部で4箇所、上半身の全面で4箇所、上半身の背面で4箇所の、合計12箇所のことです。この12ポジションに順番に手を置いて、レイキヒーリングをおこなっていくことが、レベル1を学んだ方に必須となっている課題です。
この12ポジションは、実はヨガ哲学においてエネルギーの中心点とされる「チャクラ」の位置と一致しています。
チャクラについての詳細は、とても長くなってしまうため、別の記事であらためて書ければと思います。
ここでは、チャクラが体内に存在している7つのエネルギーポイントであり、それぞれのポイントが体内における(エネルギーレベルでの)臓器のような役割をしていると考えていただければと思います。それぞれのエネルギーポイントであるチャクラに不調和が生じると、そこから心身ともにさまざまな症状があらわれてくるため、チャクラを整えていくことが重要である、というのがざっくりとしたチャクラの解説です。
レイキにおける基本の12ポジションが体内に存在している7つのチャクラの場所と一致しているのは、偶然ではないと思います。チャクラと呼ばれているエネルギーの中心点に手を置き、順番にレイキを流していくことで、ヒビキを感じることができずとも、ある程度のヒーリングをおこなうことができるようになるのは間違いありません。
つまり、ヒビキを感じること、レイキが流れている体感が得られなかったとしても、レイキヒーリングをおこなうことはできるということです。
エネルギーを感じることに執着する気持ちがエゴである理由
ここまででは、レイキヒーリングを実践していくヒーラーとして、「目に見えないエネルギーを感じられるようになる」能力を養うことは大切である、という風に感じさせるようなことを書いてきました。
しかし、「目に見せないものを感じられるようになること」が大切なのであれば、どうしてそれが「エゴである」と言われたり、「そこに執着するのをやめなさい」と言われてしまうのでしょうか?
レイキヒーリングを学ぶ方にとって、なによりも重要な理解が、「エゴを手放す」ことと「宇宙に委ねる」ことです。これを別の言い方にすると「全托する」ということになります。
レイキヒーリングをはじめたばかりの頃は、「目に見えない世界を感じられるようになりたい」と思うようになります。例えばレイキのエネルギーが流れていることだけでなく、目に見えない存在と繋がれるようになったり、リーディングやチャネリングができるようになりたい、などと望むようになりやすいです。これは、レイキを学びはじめた方のほとんどが通る、自然な段階だと個人的に思っています。
しかし、この望みは「エゴ」であることが多いのも事実でもあります。これは、わたし個人の体験からの気づきでもあります。
どうして見えない世界を感じられるようになりたいのですか?
どうしてあなたは目に見えない世界を感じられるようになりたいのでしょうか?
施術をする際に、エネルギーが流れているのかが分からなければ、ちゃんとした施術を提供させていただくことができない、というプロ意識からでしょうか?もし本当に、純粋に100%、それだけが理由なのであれば、確かにその「見えない世界を感じられるようになりたい」と望む気持ちは、たしかに “エゴ” ではないのかもしれません。
しかし、多くの場合は、そこに不純物も混じってしまっていると思うのです。
(そして、それは人として自然なことなので、恥に思ったり、罪悪感を感じたり、落ち込んだりする必要はないですよ!)
例えば、目に見えない世界を感じることができる人(チャネリングやリーディングができる方、守護様やアセンデットマスター、神様などとお話ができる方)などに対して、憧れや「自分もそうなりたい」と思う気持ちはないでしょうか?そういった能力をもっている方を、「自分よりもすごい人」として、自分の上においてしまっていることはないでしょうか?
例えば、今の自分にはなにも誇れることや自慢にできることがなく、なにか特別な能力を持っているわけでもない平凡な人間である、と思っていませんか?そして、そんな自分を変えたくて、「わたしも価値ある人間、特別な人間だ」と思える “ナニカ” を探し求めている気持ちはありませんか?その “ナニカ” が、見えない世界を見ることができたり、感じられたりする能力、になってしまっていませんか?
これは、レイキヒーリングを学びはじめた当初のわたしの実体験でもあります。
なにもないわたしにも、ナニカあるんだ、と思えるようになりたかった。ここにいる理由が欲しかった。誰かにとっての特別でありたかった。すこしでも自分に自信が持てるようになりたかった。
レイキを学べば、レイキを使えるようになれば、レイキを使えるようになれば、自分をほんの少しだけ、特別な人間になれるかもしれないと思った。今、うまくいっていないこと全てが自動的に解消されて、苦しみのない、しあわせな日々を生きられるようになると思った。そう、SNSの向こう側にいる、憧れのあの人みたいに…
そんな気持ち、あなたも共感できるところはありませんか?
こういった「今自分の中に不足しているナニカ」を埋めようとする気持ちが原動力となっているとき、それは「エゴ」であることが多いです。
わたしたちは無意識に、この「エゴ」をいろんな綺麗な言葉や志でコーティングしようとするのです。だからこそ、先生や師匠に「それはエゴだから手放しなさい」と言われたとき、反発心が出てくるのです。分かってもらえないと感じるのです。本当は図星なのだけれど、それを自分の無意識が認めたくないと思っているからなのです。
(もちろん、先生側があなたのことを色眼鏡という名の先入観で見ていて、本来のあなたの気持ちが伝わっていないこともあるかもしれませんが)
人間如きに理解できることは、ほとんどない
すこし話がレイキから離れてしまったように感じた方もいるかもしれません。
もうこれ以上聞きたくない、とページを閉じたくなってしまった人もいるかもしれません。
ここで、レイキの教えの観点から、「どうしてレイキヒーラーは施術の際にエゴを手放し、全托することが大切なのか」を紹介していこうと思います。
レイキヒーラーとしてレイキヒーリングをおこなうとき、一番大切なこと。
それは、すでに書きましたが、「エゴを手放す」ことと「宇宙に委ねる」です。
レイキヒーリングの創始者である臼井甕男先生は、人生の目的は「安心立命を得ること」であると考えられました。そして、レイキの実践と修養は、この「安心立命」の境地、言い換えると「悟りの境地」「無心の境地」で日々を生きられるようになること、なのです。
臼井先生は、この宇宙はわたしたちを愛しており、すべての事象がわたしたちのために起こっているのだと考えていました。これはつまり、一見、困難や試練と感じるようなつらい出来事も、 “あなたのため” に起こっているのだという考え方です。
実際、わたしたちも自分の人生を振り返ってみると、納得できることがあるのではないでしょうか?
例えば、リストラによって職を失った。でも、そのおかげで自分にとってしあわせな働き方を改めて考える機会となり、より良い環境の職場に再就職することができた。もしくは、今までずっと勇気が出なくて実行できなかった起業に、一歩踏み出すことができるきっかけとなったかもしれません。
例えば、たびかさなるすれ違いの結果、愛する人とさよならをすることになった。でも、そこで苦しみ、自分と徹底的に向き合いつづけたからこそ、一緒にいて幸せや安心感を感じられる人と、あたらしいパートナーシップを築けるようになった。
このように、一見「不幸」と思えるような出来事も、後から振り返ってみれば「あの時にあの経験があったからこそ、今の自分がある。あれは実は祝福であり、最善だったのだ」と思えることがあるのです。しかし、渦中にいたときには、それが最善だとはなかなか気づけません。「どうして自分だけ」と腐ってしまう人が多いのです。
わたしたちは、いついかなるときも、大宇宙に導かれています。
わたしたちの魂は、自己の進化・成長を求めています。
すべての出来事は、自分の魂を成長させていくため、進化させていくためである、ということを信じる。
そして、「すべてお陰様」の精神で、日常に起こることを受け入れ、すべての出来事の結果を大宇宙に委ね、生きていく。
これこそが「安心立命」の境地で生きるということです。
この理解は、クライエントさまに触れさせていただき、施術をさせていただく立場にあるレイキヒーラーには必須となります。
たとえば、レイキをしてもその時には症状が改善しなかったお客様がいらっしゃったとします。それは、その症状と向き合うことで、その方にとって大切な学びがあるからかもしれません。
たとえば、「お腹が痛い」と言っていらっしゃったお客様の腹痛の原因は、本当は、まだ癒やされていないパートナーとの関係であり、そこにはその方自身のさまざまなネガティブ思考や疑心暗鬼の心があったのかもしれません。
もちろん、こういった「目の前に見えている事象の裏側」まで透かしてみることができるようになるのは、レイキヒーラーとして重要ですし、目指していきたい境地でもあります。しかし、最初からわかるわけではないし、自分が「きっとこうだ」と思ったことが正解とは限らない。
「人間如きに理解できることは、ほんの少ししかない」のです。
あなたが誰かを癒してあげたいと思った。目の前の人には癒しが必要なのだと思った。その癒しを提供していく力が自分にはあると思った。
それは、本当に100%純粋な気持ちですか?
「誰かを救ってあげている自分」が、ココにいていい証明だと思う気持ちが、どこかにありませんか?
「癒やされていることが良いことで、癒やされていないことはかわいそうなことだ」と、二元論の視点で世界を見て、そこに上下の区別をつけている自分はいませんか?
これは、とても難しいバランスの話です。
感じることができなければ、見ることができなければ、癒すことのできない領域もあります。
けれど同時に、わたしたちが自分の意志で、考えで、(つまり思考で)なにかをしようとするとき。それは人間の限界を超えることができないのも事実なのです。
わたしたちが靈氣ヒーラーとして目指すべき境地は、完全に靈氣という大宇宙のエネルギー(もしくは大霊とか、大いなるもの、と言い換えてもいいかもしれません)に自分自身を委ねることなのです。そこに自分の意思を介入させず、全托することなのです。
これが、様々な日本伝統の「道」の修養において目指されていた「無我の境地」「無心」の境地です。これが、伝統靈氣が最終的にゴールとしていた「悟りの境地」なのです。
この境地にたどり着くためには、バランスを見つけなければいけません。
自分で考え、感じること。そして、大いなるものに委ねて、全托すること。そのバランス。
二元論ではなく、一元論で世界を見られるようになる視点。
中庸を歩いていけるバランス力。
すべての事象に意味を見出し、同時にそこに執着しないでいられるバランス。
このようなバランスを手に入れるのは、何十年もかかることなのかもしれません。
とても難しく、また繊細なバランスです。
言葉で表現することには限界があります。
全托すること、委ねることは、言葉で説明できることではありません。
だからこそ、特にレイキヒーラーとして、まだ初心者である方は「体感を得たい」「見えないものを感じられるようになりたい」と焦ったり、その分かりやすい結果に執着しない姿勢が重要なのです。
体感を得ることは大切です。適切なタイミングで、しっかりと無心でレイキの修養をつづけていれば、体感を得られる日はちゃんとくるでしょう。
でも、あなたが期待している「疑いの余地のない明確な体感」ではないかもしれません。
目に見えないものを感じられるようになる能力も、それがあなたの魂にとって、人生において、必要なことなのであれば、いずれは開花するでしょう。
でも、開花しないかもしれない。
それでもいいのです。どちらでもいいのです。あなたに必要なことしか起こらないのです。
そのことを頭ではなく、腑に落とすことができるようになるまでは。
ただただ、無心で、結果を期待せず、分かりやすい答えや事象を求めず、淡々と、粛々と実践をつづけることを練習してみてください。難しいです。けれど、とても大切なことです。レイキヒーラーとしてだけではなく、あなたの人生全体において、その “在り方” は、あなたを導く灯火となり、あなたの中に一本とおった折れないしなやかな芯となってくれるはずです。
最後に
とても難しいテーマで、これだけ書いても、まだまだ伝えきれなかったことも多いのが正直なところです。
本文の中ですこし紹介したように、わたし自身、自分のエゴに苦しめられ、悩み、何度もレイキや目に見えない世界から離れた経験があります。レイキの能力が開花していく中で、目に見えない存在と繋がりまくれるようになり、コントロールができなくなってしまった時期もあります。
そんな見えない存在本人に「見えない世界に執着しないこと」の大切さを教えてもらい、今の状態に落ち着きました。
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