レイキとは、悟りへの道であり、生きる道そのもの-伝統靈氣道について
こんにちは。
レイキ発祥の地、京都の奥座敷・鞍馬山でレイキヒーラー養成講座(レイキ伝授/アチューメント)をしている、ねうです。
ここ数年で「レイキヒーリング」がすこしずつ日本でも知られるようになってきました。
いろんな方が、独自の解釈や理解で「レイキ」について発信をしていらっしゃるのを、InstagramなどのSNSで目にします。
しかし、こういった「レイキヒーリングとは」といった発信を見ても、どこかみんな漠然とした情報だけを伝えているような気がして、「結局レイキってなに?」と思っている方も、実は多いのではないかと思います。
それは、レイキに興味をもちはじめている方だけではなく、レイキ伝授を受けて、レイキヒーラーとなった方も、です。
実は、わたし自身もレイキヒーラーとなって長い時期を、「レイキって結局なんなんだろう?」と疑問に思いつづけ、模索しつづけてきていました。一定の期間、レイキから離れていたことも、何度もあります。
そうして何度もレイキと向き合い、時に離れ、「レイキとは一体なんなのか?」ということを誰よりも真剣に考え抜いた先に、わたしがたどりついたレイキへの理解は、「レイキとは悟りの道」であり、また「レイキとは生きる道」そのものであるということです。
霊気療法のはじまり
レイキをはじめて日本に広められた臼井甕男先生は、もともと「人はどうして生きているのか?」「人はどのようにして生きていけばいいのか?」「どうすれば人は幸福になれるのか?」という問いを、人生をかけて探究しつづけていらっしゃいました。
伝承によると、臼井先生は日本だけにとどまらず、世界中の哲学や宗教、思想などを広く学ばれていらっしゃったそうです。学びのために中国に遊学されたり、海外留学をされていらっしゃったこともあります。
それでも、「どのように生きていけばいいのか」という究極的かつ本質的な問いへの答えを、ご自身の中で腑に落とすことはできなかったそうです。
その問いへの答えを求めて、臼井先生は京都の鞍馬山の近くにあった禅寺で修行をされていたとの伝承が残っています。そこで修行を重ねるも、臼井先生は悟りを体得することができませんでした。
「わたしは、この人生の中で、思いつく限りの手法を尽くし、学びをつづけ、実践と修行をつづけてきました。それでも、悟りを得ることができません。これ以上、一体どうすればいいのでしょうか?」
このようにご自身の師匠に相談をしたところ、師匠は
「では、一度死んでみたらいいのではないでしょうか」
と答えたのだそうです。
その答えを真摯に受け止められた臼井先生は、京都の奥座敷に鎮座している歴史深い鞍馬山にお篭りになることを決心されます。「悟りをひらくまで、ここから立ち上がらない」と強く覚悟をお決めになり、まさに死を覚悟して断食瞑想に挑まれたとのことです。
断食瞑想をはじめてから21日目の夜のこと。臼井先生は雷に打たれたかのような強い衝撃をお受けになり、気を失います。そして、目覚めたときには「宇宙即我、我即宇宙」という大悟を得られたとのことでした。
その後、自分が不思議なヒーリング能力を使えるようになっていることに気づき、このエネルギーが古来より日本において「靈氣」と呼ばれていたものであるに違いないと確信をされて、「臼井靈氣療法学会」を東京にて設立されました。
これが、今日に至るレイキヒーリングのはじまりです。
レイキとは、ヒーリングメソッドではない
世界でもレイキヒーリングはREIKIとして広く知られています。そして、レイキとは「ヒーリング・メソッドである」という認識が一般的です。
しかし、わたしは臼井先生の人生や、臼井先生が学ばれていたこと、そして臼井先生がお篭りになられた鞍馬山にある鞍馬寺の教えや歴史などを紐解いていくと、「レイキとは、ただのヒーリングメソッドではない」という結論に至らざるを得ないと感じているのです。
レイキとは、「身体的・精神的な不調を癒してくれるヒーリング・メソッド」であり、「レイキを受けることで人生が好転していく」ということが多くのレイキについて発信をしている人たちが言っています。
それが間違った認識であるとは、決して思いません。
しかし、本当の「靈氣」の真髄とは、もっともっと深いものなのではないでしょうか?
臼井先生がレイキを体得されたのは、「悟りを得る」ことに付随した、二次的なものでした。「レイキヒーリング」が中心にあるのではないのです。「レイキヒーリング」とは、あくまでもツールであり、手段であり、そして方法なのだと思います。
そして、レイキヒーリングを継続的につづけ、発靈法などの修養をつづけていくことで、臼井先生がレイキを学んでいらっしゃるお弟子さんたちを導いていきたかったのは、「悟りをひらいて生きていく」という境地だったのではないでしょうか?
このことは、特にレイキヒーラー養成講座のレベル3を学ばれた方なら、より深く理解できることだと思います。
レイキと古神道、禅や、日本の精神性とのつながり
靈氣のさまざまな修養は、日本古来の「古神道」と共通しているものが多く存在しています。
禊や祓、太陽を拝み、太陽エネルギーを自分自身の中にとりこむ技法。
自分の精神性を高めていくということ。
五戒という、レイキの真髄を教える5つの教え。
そして、そもそもの「靈氣」という言葉。
それらすべてが、日本古来の精神性や、古神道といった在り方に通じていると感じるのです。
さらに、臼井先生が活躍された、大正時代は激動の時代でもありました。
日露戦争や第一次世界大戦が勃発していたのも、この時期です。
この時期、知識層の人々は「どうやって西欧列強から、日本の風土と文化、そして精神性を守っていけばいいのだろうか」ということを、深く考えつづけていたに違いありません。
臼井先生が「心の父」として尊敬してた存在に、明治天皇がいらっしゃいます。
明治天皇は、靈氣に満ちあふれていた方として知られており、明治天皇の前に座るだけで、誰しもが明治天皇から醸しだされる強い気迫(靈氣)に圧倒されて体温が上がり、滝のような汗をかいたと言われています。
そんな明治天皇は、普段は寡黙な方であったと言われています。しかし、人生をとおして実に9万3000を超える和歌を作られていました。
臼井先生は生前、これらの和歌から数十のものを選別し、それを臼井靈氣療法学会の門下生(お弟子さん)の方々に「人生の指針、心の栄養として、毎日繰り返し読み続けること」とされていたそうです。
これらの和歌を読んでみると、自然の移り変わりを繊細に感じる感性、親や目上の存在への孝、「生きるとは、死ぬことと見つけたり」と葉隠で書かれていたような、日本の武士道の精神性などを垣間見ることができます。
古神道も、禅も、そして武士道も。
すべて、日本古来の精神性を体現・表現したものです。
このような教えに精通され、また明治天皇のお作りになった和歌を毎日読むようにと、お弟子さんにお伝えになっていらっしゃった臼井先生。
その心には、激動の時代のはじまりであった大正の時代において、「日本人の精神性を太く強いものとして養い、またそれを失うことのないように、大切に取りもどしていかなければいけない」といった強い信念があったのではないでしょうか。
臼井先生のことや、靈氣の歴史、明治天皇や、鞍馬寺の教えなどを学べば学ぶほど、そう思えてなりません。
また、古神道や禅といった、一見するとレイキとは関わりのない分野を調べていくと、かならず「靈氣」にいきあたり、また「レイキ」とつながっていくのです。
伝統靈氣道としての「レイキ」
このような学びや気づき、そしてわたし自身のさまざまな体験から、わたしは「臼井先生が本当に伝えたかった『レイキの真髄』や『在り方』『生き方』、そして『精神性』を、レイキを教えることで、より多くの人に伝えていきたい」と思うようになりました。
そうして、長い時間と試行錯誤の上、完成したのが『伝統靈氣道』という、オリジナルのレイキの学びです。
『伝統靈氣道』とはいえ、もちろんヒーリング技術としてのレイキについても、しっかりと学んでいきます。
臼井レイキや現代レイキ、直傳霊気といったさまざまなレイキの流派の中に共通している技法やワーク、教えや瞑想法は、できるだけそのままの形で大切にお伝えをさせていただきながら…。
行間に、さりげなく「日本古来の精神性」を目覚めさせていくようなエッセンスを散りばめています。
わたしがお伝えしている靈氣ヒーラー養成講座は、ただの「レイキのヒーラーさん」を養成するためだけのものではありません。
もちろん、この靈氣ヒーラー養成講座を受けていただき、自分自身でも実践と体験を深めていきながら、ヒーラーとしての活動をスタートしていらっしゃる生徒さんも、たくさんいらっしゃいます。
しかし、ヒーラーとして活動しようと思っていなくても、「この人生をどうやって生きていけばいいんだろう?」「日本人として、わたしはどのような在り方で日々を過ごしていけばいいんだろう?」「人生とは、なんのためにあるのだろう?」といった問いを抱え、その答えを求めている方にこそ、受けてほしい講座になっています。
わたしは、レイキの先生として、自分が今までの人生の中で学んできたことを、精一杯、真摯にお伝えしていきます。
しかし、わたしには、受講してくださるあなたに「答え」を提供することはできません。
なぜなら、「答え」とは、あなたの内側に存在するものだから。
「わたしの答え」と「あなたの答え」は、きっと、違っています。そして、それでいいのです。それでこそ、美しいのです。
わたしがお伝えするのは、その「あなただけの答え」に辿りつくための道標。その方向性を指し示すこと。
その道を歩いていかれるのは、あなた自身です。あなたの歩幅で、あなたが心地よいと感じる速度で。あなたが行きたい道を、行けばいい。
どの道も、辿りつく先は同じ、「空」であり、「悟り」であるのですから。
そして、その道を一緒に歩いてくれるお守りのような存在。それが「靈氣」です。
ときに羅針盤として。ときにあなたを温かく包み込んでくれる毛布として。ときにあなたを導く一番星として。
靈氣は、一度アチューメントを受けて、靈氣の流れる回路を自分自身の中にひらくと、一生その繋がりがなくなることはありません。
『伝統靈氣道』でお伝えしている内容も、すべて一生ものの智慧となり、指針となり、そしてお守りとなってくれるでしょう。
そう意図して、大切に作らせていただいております。
ご縁あって、この記事を
ここまで読んでくださった「あなた」へ。
もし、この文章たちを読んで、あなたの中に脈打つナニカを感じたのなら。
どうぞ、勇気を出して、飛び込んでみてください。
心を込めて、大切に、伝授させていただきます。
愛を込めて
ねう