レイキとは「道」である

レイキ発祥の地、京都の奥座敷・鞍馬山にてレイキヒーラー養成講座を開催している、ねうです。

レイキヒーリングとは、約100年前に日本で発祥したお手当療法です。

大正時代に一世を風靡し、当時、靈氣療法学会の門下生は実に3000人以上にもおよびました。

しかし、その後、戦争などの影響により、靈氣療法は日本での使用を禁止されてしまいます。しかし、戦前に靈氣療法が「レイキヒーリング」としてハワイにわたっていたため、そこから世界中へと広がり、現在では REIKI として、世界各国の人に愛されるヒーリングメソッドになっています。

日本では一時的に「靈氣療法」は失われてしまったかのうように思われましたが、1980年代の後半に「逆輸入」という形で、海外から「レイキヒーリング(REIKI)」として入ってきました。

しかし、現在のレイキヒーリングは、レイキの歴史をみてもわかるように、海外に一度わたっているものが、あらためて日本に帰ってきているため、「本来の日本固有の精神性」や「臼井先生のメッセージの本質」が失われてしまっていると感じています。

この記事では、普段とは趣を変えて、もっと自由に、「レイキヒーリングの本質とはなんなのか」「レイキヒーリンを実践・探究する目的とはなんなのか」について、お話をしていきたいと思います。

 

レイキとは「道」である

わたしはレイキを学び、数年のときが経ちました。その間、何度も「レイキとはなんなのか」ということに向き合いつづけてきました。世間一般に言われている「レイキ」の解説には、納得ができず、「そういうもの」として片付けられてしまうことにも、徹底的に向き合いつづけてきました。正直、ここまで「レイキとはなんなのか」に向き合いつづけてきたレイキ・マスターは、なかなかいないのではないかと思います。

レイキと向き合い、ときに「レイキ」の存在自体を疑ってみたり、問いをもってみたりするなかで、わたしなりに強く実感したことがあります。

それは、

レイキとは「道」なのだ

ということです。

ここでいう「道」とはなんなのか。

すこし話はレイキから離れますが、「道」について教えてもらった、大切なエピソードについてお話をしたいと思います。


日本に古くから存在する「道」

わたしは小学生のころ、親の勧めで合気道を学んでいました。

わたしの師範は、当時ですでに80歳を超えているんじゃなかろうかという、おじいちゃんでした。そんな師範に一度、「どうして合気道や茶道、剣道には、『道』という言葉がついているの?」と尋ねたことがあります。師範は一瞬、虚を突かれたような顔をしましたが、その後すぐに、眉尻をさげて「とてもいい質問だ」と笑って、質問に答えてくれました。

「合気道だけではなく、さまざまな日本古来の武道に『道(どう)』という言葉がついているのは、こういった修練が、『道(みち)』そのものだからなんだよ。

つまり、これらの修練には、たどり着くべき目的地がある。合気道や弓道、茶道、書道、剣道や武士道など。どの道(みち)を選んだ者も、みんな、同じ目的地を目指して、歩いている。それぞれの修練をとおして、 “目指すべき目的地に向かって歩いている”、その『道(みち)』そのものに、意味がある。

どのようにしてその道を歩くのか。どのような態度や在り方で、その道と向き合っていくのか。そして、『道』を歩いていった先にある、目的地、「悟り」の境地・状態に、どうやってたどり着くのか。

合気道をはじめとした武道は、海外のボクシングなんかのように、ただ相手を叩きのめして勝つためのものではない。それは合気道や剣道の道(みち)を極める者にとっては、ただの過程であり、結果であって、本来の目的ではない。「道(どう)」と名のつく修練・鍛錬の根底には、もっと深い目的や目指すべきものがある。それは、力や小手先の技術を上達させるだけでは、たどり着くことはできない場所だ。それは、腕っぷしの力や、技術の向上ではない。心と向き合うということだ。「道(どう)」と名のつく修練は、そのすべてが、最終的には「己の心」に行き着く。そこにたどり着くまでのすべての学び、心や身体の動きや揺らぎ。それらすべてが、そういった修練をおこなう人にとっての「道(みち)」となる。

合気道はつまり、「合気」の「道」なんだよ。合気道を学ぶとはつまり、人生そのものが、「合気」の「道」となるということだ。人生をかけて、探究しつづけていく。そこに終わりはない。それは「道(どう)」と名前のつく、他のすべての武術や学びにおいても、同じ。だから、日本の武道には、みんな、『道(どう)』という言葉がついているんだよ」

師範はそんなようなことを、当時まだ幼かったわたしに、教えてくれました。

時の流れの中で、わたしは師範に教えてもらったことを理解できないまま忘れ、そしてレイキを理解するために学んだ古神道や日本の武士道などの精神性、禅といった思想や在り方を学ぶなかで、思い出し、そして改めて理解したのです。


レイキも、本来は「靈氣道」だった

古神道や日本古来の武士道や禅的な在り方、思想といったものを学ぶのと並行して、臼井先生や、鞍馬山についても学びを深めていきました。そういったさまざまな学びが、繋がりあって大きな線を描いたとき、わたしは「レイキも、本来は『靈氣道(どう)』であったのだろう」と確信しました。

つまり、臼井先生が教え、広めていた「臼井靈氣療法」とは、確かにヒーリングメソッドとしての側面がありました。しかし、それは合気道や他の「道(どう)」と名のつくものと同じく、「ただの過程」であって、本来の目的ではなかったのではないでしょうか?

事実、臼井先生自身、悟りを拓くために京都の鞍馬山にお籠りをなさいました。そして21日間の断食瞑想の末に、悟りをひらかれています。それが本来の目的であり、ゴールでした。今、世界に「レイキ」として知られているヒーリングメソッドとしての「レイキ」は、あくまでも「悟りをひらくプロセスにおいての過程」でしかなかったのです。

臼井先生が「臼井靈氣療法」をとおして本当に伝えたかった真髄・精神性。それは、大正時代にはすでに少しずつ失われつつあった「日本人の胆力」や「人生や自然万物に対する姿勢」であったのではないでしょうか?それは言い換えると「自分の命をしっかりと立てて生きていく」ということになります。まさに、レイキの教えの中で重視されている「安心立命」です。

本来の伝統的なレイキでは、呼吸にとても重きをおいています。レイキヒーラーが毎日実践することを推奨されている発霊法なども、丹田呼吸と靈氣エネルギーの流れをかけあわせた瞑想法であり、修行法であるということもできるでしょう。

自我(=小我・凡我)を抜けだし、よりおおきな “宇宙” そのものの流れと一体化する。無我の境地。自然と一体化して、すべてがあるがままに起こり、また動いていく。その境地にたどり着くことが、古くから武士や禅僧など、さまざまな人たちが修練しつづけ、目指したゴールでした。

臼井先生が靈氣療法をとおして、門下生たちに伝えようとしていたことも、この「悟り」の境地にたどり着くための「道(みち)」であり、考え方、在り方、生き方の姿勢ではないでしょうか。

その臼井先生が伝えたかった靈氣の真髄を、余すところなく、お伝えしていきたい。そんな想いから、わたしはオリジナルの『伝統靈氣道』というものを、臼井先生がレイキを体得された、まさにその場所、鞍馬山にてお伝えしています。

すこしでもピンときたかた、心が震えた方。

ぜひ、お問い合わせください。

既にレイキをアチューメントしてもらっているレイキヒーラーさんの学び直しも大歓迎です。

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この記事の原案となった記事をnoteにて、エッセイ形式でアップしています。

ご興味のある方は、ぜひこちらも読んでみてください。

ねう

幼少期から自己肯定感の低さ、ネガティブ思考、自分らしさがわからないといった「生きづらさ」を抱えていた。「人はなぜ生きているのか」「どうすれば幸せになれるのか」という問いに対する答えを求め、哲学・心理学・スピリチュアリティを探求し続ける。その結果、日本古来の精神性を思い出していくことこそ、苦しみを卒業して幸せに生きる方法であるという気づきに至った。

レイキ・ヒーリングサロン&スクール "Soul & Self" を立ち上げ、これまでの学びの集大成である『伝統靈氣道』を通して、日本古来の精神性を目覚めさせることを天命として、京都・鞍馬山を中心に活動している。

https://www.soul-and-self.com
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